紅双華妖眸奇譚 (お侍 習作89)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


 
          




 東の辺境、東雲という土地の街道筋に聳
(そび)えるは、妙剣山という禁足地。さほどに標高があるそれではないながらも、随分と昔から、その山麓には何びとたりとも入ってはならぬとされており、それへまつわるおとぎ話もあるくらい。そんな土地に代々続く、元は御領主様のお血筋の、分家のお家に生まれたシズル様というご嫡男は、だが。この土地でなくとも珍しい、玻璃玉みたいな赤い眸だったものだから。代々伝わる口伝に従い、物心つく前から“寺預かり”とされており。ちょっぴり体が弱いことのみを唯一の瑕に、素直で聡明、それは優しい青年へすくすくと育っていたのだけれど。
「そんな彼の実家が不審火で焼け落ち、ご両親も亡くなられた。何かとんでもない事態が起きたなら、母上のご実家、東雲の本家を頼りなさいと。そうと言い置かれていた寺の住職は、恐らく、その失火の原因が人為的なものじゃあないかと感じたのでしょう。何の防御もないお寺では彼を守り切れないだろうからと、東雲の本家へ彼を向かわせようとした。ところが…。」
 何とも間がいいというか悪いというか。旅立った彼を追って、ならず者らが次々と、それは執拗に彼を掻っ攫うことを目当てに出没しだした。確かに、見る人が見れば、品があって育ちのいい、いかにも良家の御曹司。そんな坊ちゃんが旅の一座に混ざっているというだけでも、何か事情があろうよと、勘ぐられることもあろうけれど。あんまり執拗が過ぎるちょっかいかけなのと、
「お目当てのシズル様というのが、目印があるよで無いよな相手だからか、威嚇の棒振り以上の狼藉は働かないのが、どうにも妙な案配で。」
 どうでも無傷で連れ出さにゃあならぬという、奇妙な枷が相手側にもあるらしく、
「シズル殿が言うには、赤い眸をした彼を無傷で連れて行けば、途轍もないお宝が手に入るのだと、相手の手下が口走ったということでな。」
 向かう先の東雲の宿場に偶然居合わせたは、勘兵衛殿や久蔵殿にはお懐かしい、かつてのお仲間の五郎兵衛殿と平八殿。そこでとこちらの事情を説明し、協力を願っての一芝居。シズル殿や旅一座の面々への後腐れが残らぬよう、出来るだけ多くを一網打尽に取り押さえんとする、大捕り物を構えたものの。選りにも選って一座の中に内通者がいての、隙を突かれたその結果。大事を取って匿っていた、肝心かなめの若様が攫われた…かに思われたのだが。

 『久蔵様が…私の身代わりになって下さって。』

 状況は把握しておろうからと、ただ“万が一の時のための護りを”としか言わなんだ。そんな段取りの中で、シズルを直接護衛していた久蔵が、こちらの舞台裏を知る者の手引きを得て、まんまと入り込めた敵からの奇襲に遭い。已なく、シズルの身代わりとなって相手方へ攫われてってしまった…という幕引き。若様や一座の面々を守って、同時に敵の大多数を搦め捕るという当初の目的へは、十分すぎるほど上々な成果となったのだし、

 『なに、あやつは並大抵の練達ではないからの。』

 すらりとした痩躯に、役者のように端正な美貌という、見るからに玲瓏繊細な風情の青年だったが。それへ反してその腕前はとんでもないこと、出会った切っ掛けの野伏せり退治の一幕で、皆も知ってはいたものだから。
『案ずることはない。』
 わざわざ救い出すまでもなく、連れ去った先の相手方を殲滅してひょっこり戻ってくるやも知れぬと。そんな言いようをして、東雲で吉報を待たれよと仰せの壮年殿の言葉をすんなり飲んだ一座の皆様を、その東雲からのお迎えの護衛に任せて、さて。此処からは勝手な暴走をしでかした、金髪痩躯の双刀使いさんを追って。遅ればせながら敵方へ乗り込むことと相成った、お侍様のお歴々。

 「襲撃者を斬って捨てての終わりにしなかったというのは、
  もしやして、勘兵衛殿から影響を受けてのことじゃあないのでしょうか。」

 座員の中に内通者があったという、あまりに意外な落とし穴。想定の中にはなかったそんな事態と向かい合い、究極の土壇場であったがために、打つ手が無かった彼だったから。赤い眸という共通項を頼りに、

  ―― 已なく、シズルの身代わりとなって相手方へ攫われてってしまった

 シズル殿や一座の方々にはそれでご納得いただいた、久蔵の行動だったのだけれど。こちらの面々にしてみれば、そんな程度のどんでん返しで浮足立ったり追い詰められたりするような、半端な腕でも度胸でもない彼だということくらい よくよく承知。それよりも…あまりに周到な準備のよさにこそ、よくもまあと呆れるばかり。
「変装のための衣装にかもじ、床には伝言の、ささめゆき…でしたっけ? 暗号文まで残そうとは。」
 彼なりの計画をこっそり構築・準備していたところなぞ、現場での頼もしい刀ばたらき以上に周到な奸計がお得意な軍師、勘兵衛殿からの影響ではないのでしょうかと、暗に揶揄する平八の言いようを引き継いで、
「この牙を分け合った相手なら、某も覚えておりますぞ。」
 今は雷王山と名乗っておいでか、それはまた雄々しい名前だと。渋い色みの外套を羽織った大きな肩をすくめ、苦笑して見せた五郎兵衛殿。そんな彼と同期の元・南軍在籍者が居たればこそ解読出来た、ちょいと小じゃれた暗号符丁によれば、

 『相手の思惑、何用なのかは直接訊いた方が早かろう』

 依頼されたは東雲までの道中を護ること。よって、この襲撃自体をしのぎさえすればいいものを。襲い掛かって来たのが鋼の鎧も同様な武装をした鋼筒でも、彼ほどの太刀筋の持ち主ならばそれこそ片手間にだって蹴たぐれたろに。取りこぼしが のちのちにも執拗に構いかけて来るやも知れぬと案じた上で、そのような後腐れがないよう、いっそ一気に方をつけようぞと。そんな腹積もりがあっての、故意に攫われてった久蔵であったらしいこと。その身を運ばれて行かんとした影を見ただけで、彼が構えた企みの大まかな概要が掴めたらしき勘兵衛であり。そんな彼からこそ、多大なそれとして受けた影響じゃあないのかと、

 “ヘイさんでなくとも、感じてしまうところだの。”

 その都度その都度の対処手当てをするだけでは埒が明かぬらしいと感じたは、物事や事態をその表面よりも踏み込んで深くまで見越せるようになられたからこそ。義憤に燃えてか、それとも。つれない風を装いながらもその実は、情に厚くて律義な連れ合い殿が、完全な決着を見るまでは頼りない若様を気にかけ続けるのではなかろうかと読んでの先手。言わば…ある意味“悋気”から来た独断専行なのかも知れず。そこまで断じるのはさすがに僭越かと、思うと同時、ついの苦笑が口元へ洩れかかった銀髪の壮年殿で。

 “あの久蔵殿の言動へ“悋気”を持ち出す日が来ようとはのぅ。”

 かつて、野伏せり退治にと招かれた神無村に集いし折の久蔵が、若いに似ず、何においてもそりゃあ無関心なお顔を通していた、とことん冷めたお人であったのは、五郎兵衛とて覚えていることで。刀にしか関心がなく、その手ごたえで見込んだ勘兵衛について来ただけ。野伏せり退治という村人たちからの依頼を引き受けた代表格、いわば首魁であった壮年軍師にとっとと“仕事”を終わらさせるため。素人に弓を教えの村の周縁への哨戒に回りのと、あれこれ尽力してはいたけれど。そんなこんなの範疇から外れることへは、見事なくらいに関わりを持とうとせずの知らん顔でいたお人だったのに。彼もまた…呼吸する血肉の上へ、暑いの寒いの感じる感覚もちゃんと持ち合わせている生身の存在。しかもしかも、凍りついているかの如くに冷ややかなその感覚や感性は、

  ―― 知った上で集中には邪魔だ要らぬと封じているのではなくて、
      ただ単に“手付かず”だっただけであり。

 そんなところを案じての、根気よく相手をしていた“おっ母様”こと七郎次によって、遅ればせながらの少しずつを紐解かれていった感性とやらは。暖かいもの、柔らかいもの、舐めると幸せになれる甘いものや、触れると気持ちのいい軽やかなものを知ってゆき。可愛らしいものが持つ可憐さや、儚いものが脆くもおびた切なさ…などという、繊細微妙な感覚の数々を、そりゃあ素直に吸収しての、その身へ少しずつ馴染ませておいでなようだったから。勘兵衛への切なる執着を芯にしての、ままならぬ想いへの歯咬みや悋気もまた、身につけていてもおかしくはない。ただ、そうともなると今度は逆に、もういい加減 大人であろう筈な彼なのにという、晩生
(おくて)さ加減が何とも微笑ましくて堪らない。こんな事態の最中だというのに、
“かあいらしいことよ。”
 何とはなくの擽ったくて、ついつい頬が緩みそうになりかけた五郎兵衛殿であったものの、

 「そちらの伝承で語られているお宝とやらも、
  東雲家に縁のあるというような“遺産”ではなさそうなのだろう?」

 おっととと。極めつけなまでに冷徹な練達で、余計なことは一切しないと思われていた久蔵殿が、こたびはあまりにも珍しいことをなさったと。そこのところを これまたあっさり見抜いてしまえたお歴々。それでとそれぞれが感じ入ってのこと、ついつい話が逸れかけてしまったが。今の今はそんな感慨も詮索も後回し。
「シズル殿本人へも何か託されたものがあるでなし。どうして狙われるのかが判らぬと言うておったのだがの。」
 お話を本題へ…こちらの騒動と五郎兵衛の調べていた伝承話との関連があるやなしやというところへと、大きく引き戻した勘兵衛殿。ついでのように付け足したのが、
「まま、あちらもそのような伝承とやらへも触れはせなんだが。」
「さもありなん。」
 五郎兵衛殿もそれへは苦笑しながら頷いた。大切なご両親が亡くなったばかり。心身共に憔悴し切っている者が、そのような途方もないことを持ち出すまい。それに、
「こちらでも、調べてゆくうち お宝なんてとんでもない、妖異同様 封印された厄介なもの。決して世に出してはなるまいぞとされた、危険なものだという色合いばかりが濃くなりましての。」
 そうと続けた五郎兵衛殿が眉を寄せ、

 「殊に、その“双炎”を封じられた和子は、
  寺預かりになってののち、終生、世には出させてもらえなんだそうでな。」

 「…寺預かり。」

 おやと。一行の先頭を進んでいた勘兵衛の足が止まった。街道から外れ、延々と続く結構な広さのあった草深い原っぱを抜けるとすぐにも、問題の禁足地、妙剣山へと連なる森へと入る。そこからは、物音をさせぬためにと鋼筒を乗り捨てての徒歩となった彼らだったが。梢が重なった天蓋の隙間からこぼれ落ちる月光が、木陰や夜陰の暗がりと絡まり合って織り成すまだらな視野の中。転々と連なるように捨て置かれた夜光石を追っていた勘兵衛の、その集中を途切れさせたのは、最近に聞き覚えのあった語彙が飛び出したからに他ならず。そんな彼の思ったところを代弁して、
「東雲の家では“赤い眸の男子は生まれてすぐにも寺預かりとする”と、口伝で代々伝えられていたそうなんですよ。」
「…おや。」
 ということは…もしやして、やはりこっちの伝承と関わりがあるのでしょうかと。平八が口にした感慨へ、五郎兵衛もその符合にはおやおやと感じ入ったらしく。
「おとぎ話が先か、それともそんなことを大真面目に遵守させている口伝が面白がられたのが先か、今すぐ断じるは敵わぬことだが。」
 ただ、と。言葉を切った勘兵衛殿が、白いお背
(せな)は振り向かせぬまま、その豊かな蓬髪の陰にて呟いたのが、

 「そうは例がなかろう赤い眸の和子。
  なのに、生まれることがある血筋なのだとわざわざ予見されていて、
  しかも当代、当該の男子が生まれたとなれば。
  確かに無縁なこととは思えぬわな。」

 伝承の中の封印された妖異や“双炎”とやらが、一体何を揶揄しての置換されているかは不明なれど。それとあまりに重なる部分の多い企みが、今現在 蠢いているのは事実。
「そういえば、ゴロさん。さっき、その妖異が復活したんじゃないかって話を言いかけてましたよね。」
 経過の刷り合わせを優先したので話半分となっていたこと。平八が思い出しての、あらためて訊いてみれば、
「ああ、それだがな。この1年、禁足地へ入って行った者のうち、戻って来ない者が増えたのだとか。」
「…禁足地なのに入った人がいるのですか?」
 何だかそこからして矛盾してませんかと、少々目許が座ってしまった工兵さんだったものの、
「確かに理屈がおかしいか。」
 踏み込んではならないからこその“禁足地”だのになと、平八の即妙な問いへ五郎兵衛もまた、精悍なお顔に浮かべた苦笑を濃くして見せて、
「だがの、ここまでの森をまるきり放って置く訳にもいかぬらしくての。祈祷なりお祓いなりをした上での伐採や狩猟にと、近隣の村人たちがこの森の中途までならば入ることはあるらしい。」
 そして、そういう万全な支度をしての入山した顔触れのうち、途中ではぐれた者だろか、行方不明になったままとなる数が、この1年で妙に増えているのだそうで。
「山麓へ連なる森だとはいえ、そうまで深いもんじゃあない。人の手が入ってるくらいだ、林と呼んでもいいほどのもの。だのに、二度と戻って来ない者が出ているのへ、流れ者の野伏せり崩れに襲われたか、それとも…伝承の妖異が復活したんじゃないかと、実
(まこと)しやかに取り沙汰されておるらしゅうての。」
 にやり笑った五郎兵衛殿の、いかにも太々しいその笑い方は。曖昧な伝承とやらを信奉しての推しているというよりも、人の手による悪さじゃあないのかなと言いたげなそれであり。

 「久蔵が攫われた先も、その禁足地であるらしいしの。」

 木立の合間、下生えの上。かすかに覗く蛍光色の石の連なりもまた、森の奥へと続いており。
「果たしてどんな妖異がお出ましになるものか。」
 額へ小手をかざした平八の言いようもまた、性分の悪い人間のしでかしている何かじゃあないかと言いたげな口調。こちらの皆様にはまだ、形を取らないまま、単なるおとぎ話の域にあった言い伝えであったのだけれども…。





  ◇  ◇  ◇



 そんな追っ手の面々が、せっせと進むその足元の遥かに下層、地の底近く。こんなところにとは意外なほど唐突に、がらんと開けた岩盤窟の、冷え冷えとした広間に立つ久蔵がその足元に見たものは、

 “…これは。”

 何基かの篝火のみという不安定な明かりが照らす、薄暗い岩窟のその下に。もう1つほど空間があるらしく。地響きのような声音で ぐるると低く唸りつつ、下からすれば檻代わりの鉄格子のような天蓋、こちらとを仕切る岩盤越しに上をと見上げて来ている何かがいる。夜目が利く身のその視覚で見えた輪郭は、何か生き物の頭部のようだったが、その大きさが途轍もなくて…そうそう信じられるものではなく。確かに見えているものを、だのに信じられぬと認めなかったことなんて、久蔵には初めてのことじゃあないだろか。何へ対してでも無関心の態が多かったとはいえ、見えるものや感じるものへ、決して鈍感だった訳じゃあない。ただ単に関心が偏っていただけの話であって、興味が涌くか否かを断じるためにと、対象を自分なりの物差しにて検分しはした彼だったのだが。これはさすがに…常軌を逸しているにも程があろうと、呆然とするしかないほどの桁外れ。陣羽織の男は猩々
(しょうじょう)だとか言っていたが、雷電と同じほどの大きな猿が、果たして今時の地上におるものだろか。

 「大人しいもんだね。やっぱりその赤い眸の御利益なんだろか。」

 そんな呟きが窟内に響き、顔を上げれば…この生き物を見やと示した当の相手が、選りにも選ってそんな言いようをしたらしく。久蔵と視線が合うと、肉付きの薄い、いかにも酷薄そうな口元を歪めて笑って見せて、
「実を言や、こうまでの近くへ寄ったのはこれが初めてなんだよ。なに、大事はないとの確信はあったがね。」
 またも、そのような薄皮越しの婉曲な物言いをする彼へ、
「…。」
 こちらもあからさまに目許を眇めれば、
「この床はね、どうやら金剛石がかなりの純度で含まれているらしくって。こやつがどれほどの怪力であれ、自力では破壊出来ないらしい。」
 檻にも見える連子窓のような切れ込みが結構な幅で入っているのが、いかにも人為的な手を施したように見えるからには、
「うんと昔のさぞや腕のいい職人たちが、必死でこんなのを作ったのだろうね。」
 軍靴だろう堅そうな踵を持ち上げ、何度かたんたんと叩いて見せてから、大したものだと目許を細め、
「何から話せばいいのかな。辿り着いた此処が禁足地なのをいいことに、我らの塒
(アジト)にしようと思って居着いたのが、そう2年ほど前のことだったかな。」
 壁際に居並ぶものとは別に、すぐ傍らにも置かれた高脚つきの鉄籠の中。篝火が明々と燃え盛り、その炎が彼ののっぺりとした顔へもわずかながらの陰を躍らせる。いつも微笑っているような印象のある顔立ちだが、そうすることで本心を糊塗しているのだとすれば、額面どおりに受け取らぬほうがよく。ただ、この状況を喜んではいるらしいと、声の抑揚で何とはなく判る久蔵でもあって。

 「どこまで深い洞窟なんだろうかと、それを調べることになった折にね。
  落ちたんですよ、仲間の一人が、その中へ。」

 決して幸いな話じゃあなかろうに、やはり口元は笑みを頬張ったままでいる。まま、そんな恐ろしい事態も…無事だった彼には他人事に過ぎなかったのかもしれないが。
「こうまで終点間近い底だったんで、もはや外と繋がってるはずもなしと油断したんでしょうね。ほら、あっちの端っこの格子が不格好に崩れてるでしょう? こいつがこつこつと穿ったものか、人ひとりがくぐれる穴。そこから下へ落ちてしまいましてね。」
 今度は大仰に眉を顰めて見せたけれど、どんなに感情を浮かべて見せたとて、もはや当てにはしていない久蔵であり。最初の驚きさえ引っ込めての冷めたお顔に戻った相手へ、何を感じたか…笑みをなお濃くした陣羽織の彼は、語りを続けた。
「その時は、こんな異様なものがいるなんて思っても見なかったから、大丈夫か今引き上げるという運びとなったのですが。手元が暗いと言うものだから、火のついた松明を投げ入れてやったら…何があったと思います?」
 急に声を潜めたは、一体どんな道化のつもりやら。やはり何とも反応を見せない久蔵へ、だが、そちらも動じはしないまま。にんまり笑って…手へと掴んだのが、傍らの篝火に擇べてあった薪木が一本。大太鼓のバチのような大きさ長さの半分ほどが燃え盛る、そんな薪木を実にあっさりと足元へ落とすと、そのまま靴の爪先で蹴って見せる。中途の床に一度だけぶつかり、火の粉を少しほど散らしながら低く弾んだ薪木は、そのまま二人の間の床格子の隙間へとすべり込むように落ちてゆき。結構な高さがやはりあるのか、随分と間があってから落ちたらしい音が響いたものの、

 「見えただろう? それはそれは麗しの、絶対純度を保った金の壁や床が。」

 かつんと堅い音を立て、遠い下方にある階下の床に横たわった頼りない薪木は、それでもその周辺を照らして見せて。橙色の光を受けて煌いたのは、言われてみれば…濡れた岩壁にしては輝きの強い、金属質の何かだったような。だが、
「…黄銅かも知れぬぞ。」
 目がいいのは何も太刀筋へとばかりではない久蔵の言いようへ、
「ああ。あそこまであからさまに光る金脈なんて、むしろあり得ないと私も思ったさ。」
 滑稽な間違いではないかと腐されたような気がしたか。反応が引き出せたことへとほくそ笑むより、そちらさんにも初めての反応、ムキになっての反駁を返して来たキツネ顔の男は、
「早く助かりたいがために出鱈目を言ってないかと我らが揶揄したら、落ちた男は捕縄紐を降ろさせて、手近な石ころを結ぶと引き上げさせてね。仲間内に目の利くのがいて確かめさせたが、やはりかなりの純度の金に間違いはなかった。」
 待ってな、今 丈夫な縄を降ろすぞ、いやいや、我らも降りてゆこうぞなんて。逃亡の末で憔悴し切っていたはずが、ちょっとした浮かれ気分になったのを、

 「これまた一気に冷めさせたのが、こいつの存在だったって訳でね。」

 その時はたまたま、どこか遠くの奥向きで眠ってでもいたのだろうね。私たちの騒ぎで目を覚ましての、のそりのそりとここの真下までやって来た。漆黒の毛並みは暗がりに溶けていたし、何より、この巨躯だってのに気配がしなくて…一番間近に居合わせた奴でさえ、こうまでの近づかれてから気づいたくらい。
「そこが、いわゆる“妖異と呼ばれし由縁”ってやつだったんだろうねぇ。」
 そうと付け足したのへ、
「…。」
 久蔵が怪訝そうに眉を顰めたのは、彼の言う“妖異”の意味が測りかねたから。そんな反応もしかと見届けた上で、野伏せり崩れの盗賊団の大将殿、ふうと思わせ振りに吐息を零すと、

 「誰の姿もなかったはずで。こやつはなんと、人をも食ってしまうのだよ。」

 抜け駆けを企んでのことか、何とか金脈へ近づこうとした奴らが下手に近づくと、あの隙間から指だけ出しての巧妙に、引きずり込まれてそのまま食われたのも何人いたことか。禁忌を破ってここいらに入り込んだ農民や狩人も、見つけた片端から攫って来ては放り込んだから、今じゃあすっかり味をしめていると思うよと。そんな恐ろしいことを、

 “…良くもまあそんな作り笑顔で語れるものだ。”

 こちらもまた、あまり表情は動かさぬままながら、その胸中では苦々しい想いを噛みしめてしまったうら若き剣豪殿であり。そんな二人の代理のように、広間の隅に身を置いていた、口数の少ない相手側の腹心男だけが…ひぃと短く悲鳴を上げてしまう。それらの凄惨な様、見続けて来たことが、彼をしてこうまでの臆病な存在にしたのかも知れず。震え上がったその弾みで腕に力が籠もったものか、抱かれていた小さな存在が、か細い声にて再び泣き始めてしまったため、
「…何をしているのだか。」
 さすがにそれへは舌打ちをした頭目殿。ふやや〜んと泣き出した赤子の声が、きっと足元の妖異の神経に障って暴れだされては剣呑だとでも思ったのだろうが、

  ―― ぐるるるるぅぅ………。

 案じに反してのこと、小さな松明にてその忌々しくも恐ろしい巨躯の輪郭が、ますます明らかになった魔物はというと。刺激を受けて暴れるどころか、昏い色合いの赤い眸を瞬かせ、頭上に立つ格好の久蔵のほうをば、凝視するばかりとなっており。それを見取ってのおやと表情を止めた陣羽織の頭目は、
「さようか。やはり赤い眸はこやつの制御に役立つらしいの。」
 ほくほくとした声音でそんな言いようをするものだから、
「…。」
 やっとのこと、久蔵にも相手の思惑、こたびの騒動の根っこにあったものが見えて来た。つまり、

 “東雲の家に偶に生まれる赤い眸の男子とは、
  こやつの制御が可能な存在だということだったか。”

 禁足地だの妖異だのと、久蔵には意味不明なままな言葉の幾つか。だが、特殊なものである“赤い眸”までもを持って来れば、それらが並列に居並んで…尋常ではないものへと冠されるフレーズだという関連が見えても来る。こやつらがああまでの人海戦術を繰り出してでも手に入れたがったのも無理はなく、

 「その昔、ここいらでは他の獣を率いて大暴れしていた妖異がいたそうでね。」

 それを裏付けるかのようにして。頭目殿は、まるでお念仏でも唱えるように淡々と、そんな話を紡ぎ始める。奇しくも五郎兵衛殿が調べていたそれと輪郭は同じなもの、ここいらに伝わるおとぎ話や伝承を統合した代物であるらしく。その、とんでもなく大きな妖異、猩々とやらの、あまりの巨躯と神通力とに人々は随分と悩まされたものの、ある日、不思議な光景を見たという展開へと話はなだれ込み。
「当時の東雲のご領主様には、なかなか子供が出来なくてね。それでと抱えた側室にやっとのこと生まれた男子が、どういうものか赤い眸の子供。それでもまま、授かりものには違いないと大切に育てていたその子が、こんな騒ぎの中で行方をくらました。」
 大人たちはそりゃあ慌てた。どさくさに紛れて攫われたのか、それとも…子守りの目が離れた隙をつき、外は危ないと言い聞かせた厳重な禁忌を嫌って、自ら出掛けてしまったか。必死になっての探したところが、人々はとんでもない光景に出くわした。
「坊やの赤い眸に見ほれた猩々が、そりゃあ大人しくも懐いていたのだよ。」
 それこそどういう理屈かは判らぬが、凶暴が過ぎて手下の獣を殴り殺すこともあろうという猩々が、山のような巨躯を窮屈そうに屈めて座り込み、まだ年端も行かぬ小さな坊やと差し向かい。花やら果実やらを周りに並べて、それはのどかに遊んでおった。半狂乱となった母御が呼ぶのへ、何とも無造作に立ち上がり、こちらへと戻って来た坊やを後追いするでもなく。じゃあね、またねと彼が手を振れば、やはり大人しく山へと去って行ったというから、ご領主様以下、大人たちが驚いたのなんの。
「そこで、まあ後は想像もつくだろう? 大人たちは坊やを盾にし、猩々をおびき寄せての、この洞窟へと封じることに成功した。誰も立ち入らないようにと禁足地とし、赤い眸の嫡男が生まれたころに現れたことへ、何か因縁でもあるのかもと想いが及んだご領主様の判断で。その子を寺預かりの身として外へは出さなんだばかりか、後の代に同じ赤い眸の和子が生まれたなら、やはり世には出すなとの口伝を残したそうでね。」
 ここまでを調べあげるのに、何と2年もかかったのだよ。しかもしかも、

 「当代の東雲の家系に、なんと赤い眸の和子が生まれているというじゃないか。」

 窟内へと響くこともないほどに、あまりに掠れた弱々しい声だからだろうか。赤子の泣き声ももはや気に止めず、頭目殿は今や興奮気味になっての熱く語っており、
「そんな折にこの猩々が目覚めたは、やはり何かに惹かれてのことかも知れぬ。この引き合わせを知ったからには、乗らぬ手はないというものじゃないか。」
 何を企んでのことだろか、間違いなく昏き想いを滲ませてだろう、にやり笑ったお顔の不気味さのほうこそ、

 “よほどに妖異のようではなかろうか。”

 こういうところが冷めているといや冷めたままな久蔵が、やれやれという溜息をこそり零しつつ。相手の魂胆は何とか判ったからにはと。切れ長の目の端、チロリと投げたその視線で撫でたるややの救出、いかに無事にしおおせるかの方へと、若き双刀使い殿の意識は既に移っていたりする。

 “…。”

 この頭目殿は、下層に眠る文字通りの“金脈”を得るがため、この猩々とかいう魔物を何とか制御したいに違いない。金剛岩盤の仕切り板は、こうまで巨大な妖異を出さぬほどの強度を誇る代物だから、そう簡単には外せないし削れもしない。人が通れる穴がありはするが、下層部には天井にあたるところへ空いた穴だけに、そこを通って遠い遠い下の床まで降り立ったその途端、魔物に食われて一巻の終わりというのが関の山。遠いここから見やっただけでも相当な量の金だというのは測れたし、下手に手が届きそうなところにあることが、却って彼らの欲を燻り続けてもいたことだろう。そこでと調べ尽くした伝承から得た情報、猩々を意のままに出来たという赤い眸をした人間の存在を知り、しかも今の世にも生まれているという事実に躍り上がったその末に、手に入れんと躍起になったあたりから、彼らの判断力は怪しくなった。どこの寺へと預けたかを聞き出しの、ついでに自分たちという存在の動きを世間へ晒さぬためにと、ただそれだけの理由でシズル殿の親御を手にかけた悪党ぶりは、いかにも計算高くて慎重な、現実へ即した行為であるが。そんな夢物語のようなことと、生物学やら生態学やらの学者のアプローチならば参考にはしなかろう、さまざまな描写がきっと正確ではなかろう曖昧な伝承を浚っての研鑽の末に得た情報で実際に動きもしのその結果、久蔵という存在をここまでの手の内へと招きいれたことは…ある意味で重畳な成果と言えるのかもしれないが。

 「こやつを大人しくさせよというのか?」
 「いかにも。」

 にんまり笑った相手を、ますますのこと馬鹿づらだと腐しかかった久蔵へ。夢見がちなガキ大将が思い描くような駄々を、無理から現実にしたいらしいだけかと思っていたそのお相手は、

 「それだけでは済まさぬがね。」

 そんな、不気味な言いようをも付け足した。んん?と怪訝そうに眉根を寄せて見せた久蔵へ、人を不快にさせるのがそんなに嬉しいかと、いっそ胸倉掴み上げたくなるような薄っぺらな笑い方を返した彼は、

 「こうまでの威容と人ひとり片手で潰せる馬力を持つ、人喰いの化け物だ。
  それが意のままに制御出来るなら、素晴らしい武力になるとは思いませんか?」

 あまりに低めたその反動、ギザギザした貝殻のおもて同士を擦り合わせたかのような、がりがりとしたいやらしい響きを滲ませて。何かしらを呪うための呪文でも唱えるように、低くゆっくりと紡がれたそんな囁きを寄越されて。不覚にも、意味を把握するのに時間を要した久蔵だったのも無理のないこと。
“…武力、だと?”
 何を言っているのかと、まずは理解が追いつかず。
「こやつを、外界へ解き放とうというのか?」
 そうと気づいて唖然とした。まだ制御出来るのかも判っちゃいないことだというに、
「ああ。心配は要らないよ。この岩盤を取り去る仕組みは仕掛け済みだから。」
 床板自体は頑丈なようですが、どこやらからか運び入れたもの、嵌め込んだらしいと判りましたのでね。ならば、この空間の床の縁をぐるりと、強力な爆薬で一気に落とせば何とか開けられはする。
「落とした岩盤の下敷きにならぬようにと、端への誘導が出来るまでの調教を、こやつに済ませてからの話となりましょうがね。」
 それはにこやかに微笑って言う彼へ、久蔵は初めて、薄ら寒いまでの恐怖を感じたほどだ。狂人の紡いだ妄想としか思えぬ話を、この男は現実のものとしようと目論んでいる。機巧躯ではない身のようながら、だが、軍人であったらしき痕跡は消し去れぬところを見ると。この男もまた、野伏せりたちと大差無く、その身の据えどころを見つけられぬままに、戦後を過ごして来たクチなのかも。不遇な日々を送る中、あまりに魅惑的な玩具が目の前へ突然降って沸いたそのときから、彼の中にて何かが生まれ、その他の部分が侵食されての、少しずつ歪んでいったのかも知れない。

 “もとより、説得などという手を繰り出すつもりはなかったが。”

 ただでさえ口の重い久蔵にとって、これは相当に骨が折れそうな対手かも知れぬとの実感がのしかかる。とはいえ、このまま睨めっこを続けていても詮無いこと。ややを魔物へ供すぞと言い出される前に、何とかせねばと思うあまり、ついつい眸が泳いでしまった躊躇の現れ。

 「おや。」

 素早く拾われての、どう解釈されたやら。瀬踏みをするかの如くにこちらを眺めやる相手の眼差しが、不意にすぅと細められ、
「それを持ったままでいていただくことで、こちらを信用していただく保証としていましたが。」
 そうと切り出したは、久蔵が双手に下げたままにしていた太刀のことだろう。変装にと着つけていた振り袖衣装の袂に添わせ。だらりと降ろしていた白い手の先、血脂が乾き始めていての光沢もない、無銘のがらくたに過ぎないものの。それを握るのが彼だとなれば話は別。現に、山ほどいたはずの此処に居残っていた賊どもを、片っ端から切り払い、逃げた者を除いての全部、ものの見事に成敗してしまった恐ろしさは半端じゃあない。そんな得物を視線で差して、
「そんな威嚇的なものを持っていても、こやつは威嚇の唸り声さえ上げないほどだ。」
 余程のこと、あなた自身へと傅
(かし)づく要素があるのでしょうねと、愉快を噛みしめてのくつくつと笑い、

 「いかがです? ここは一つ、
  あなたの側からも、我らへの恭順の証しを立てて下さいませんかね。」

 猫なで声で言いながら、ぱちりと。顔の真横へ持ち上げた手の先で、骨張った指を鳴らすのを忘れない。それに呼ばれてのこと、臆病者の腹心があたふたとした足取りでやや近づいて来。腰に回したベルトに差した小太刀を片手で抜いての懐ろへと掲げ、久蔵への脅しを見せびらかす。これが自分を狙う刃なら、鼻持ちならぬ頭目を撫で切らんとする所作のついでに、いかようにも躱せるところ。だが、こやつはただただ、その腕へと抱えたややを、不審な挙動あらば切るぞとだけ構えているから始末が悪い。いつからこんな境遇にあるものか、かなり衰弱しているらしい赤子であり、少しほど近づいたことで、喉をひゅうひゅうと鳴らすばかりの泣き方だというのが知れて、ますますのこと痛々しいばかり。


  “………さて。どうしたものかな。”


 相手方がご所望の赤い眸を、それは静かに瞬かせ。その足元に、今は大人しいのらしい、巨大な猩々とやらを見下ろして。しばし、黙考の構えに入った双刀使いの君である。









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 *ちょっと長いので段落を分けますね。

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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